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あまくさ惣一郎

Author:あまくさ惣一郎


 平将門の生涯を追うと、平安時代中葉〜後半期の関東地方が、深刻なアナーキズムにつつまれていたことがわかります。東北の蝦夷との強いられた戦争。都の権門や国司たちによる過酷な搾取。
 関東の武士や民衆は、みずから汗を流して開拓した農地を守るため、立ち上がりました。それが、将門をリーダーとする大反乱です。
 将門は「新皇」と名乗り、「関東独立王国」を建設しようとしましたが、この歴史上初めての壮大な実験は、あえなくついえました。彼らの政権構想が、あまりに未熟だったからです。
 将門と坂東武者たちの見果てぬ夢。それが実現したのは、2世紀あまりのちのこと。源頼朝の登場まで待たなければなりませんでした。
 鎌倉幕府成立の本質は、武士による革命であり、働く者を社会の中心にすえる「世直し」とも言えるものでした。


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47 邪馬台国は沖縄にあった?!

 《箸墓古墳と巫女王(その2)》

 吉野和人くんと桜井日美子さんは、熱心な古代史マニア。箸墓古墳にまつわる歴博発表の話題をきっかけにした邪馬台国論議を、熱心につづけているようです。

吉野 「そもそも、邪馬台国と卑弥呼について書かれた史料は、『魏志倭人伝』しか残されていない(註1)。僕たちは、魏志倭人伝がなかったら卑弥呼なんて女性がいたことすら知らなかったんだ。だから、邪馬台国について考えるのなら、魏志倭人伝を尊重するしかない。それが本筋だと思うよ」

 前回の桜井さんの発言、「魏志倭人伝なんか役に立たない」という衝撃の意見に対し、吉野くんは日頃の持論で反論します。
 さて、桜井さんの返しワザは・・・・・

 桜井さんは人差し指を口許にあて、ちょっと視線を落とし、それから悪戯っぽい上目使いで吉野くんを見やりました。その唇に、スフィンクスのような神秘の微笑がうかびます。

桜井 「・・・・・いいわ。じゃあ、魏志倭人伝について、ちょっと考えてみましょう。あの書物に書かれた内容は、大きく三つに分かれるわ」

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46 箸墓古墳と巫女王 (その1)

 アマチュア古代史マニアの吉野和人くんと桜井日美子さんが、なにやら熱心に議論しているようです。

吉野 「最近、歴博(国立歴史民族博物館、千葉県佐倉市)の研究グループが、箸墓古墳の築造年代についての発表を行ったよね」

桜井 「放射性炭素による年代測定によって、奈良県桜井市の箸墓古墳の築造年代が西暦240〜260年であることが科学的に立証されたという、あれね。で、あなたはどう思うの? だいぶ言いたいことがありそうな顔だけど」

吉野 「あるねえ。いろいろと細かい疑問点も多いけど、あの発表では『箸墓古墳が卑弥呼の墓である可能性がかなり高まった』というようなことを言っている。ちょっと乱暴だと思うし、はじめから邪馬台国畿内説の方向に話を引きよせようとして、意図的にデータを操作しているように思えるんだ」

桜井 「箸墓については、そんなに詳しく知っているわけじゃあないけど・・・・・ あれが卑弥呼の墓じゃないかって言う説は昔からあるわよね」

 吉野くんは、日頃からけっこうガチガチの「邪馬台国九州説論者」です。一方の桜井さんは、古代史関係の本をよく読んでいますが、邪馬台国の話はふだんはあまりしません。ただ、吉野くんと話すときには、彼への対抗意識か面白がってのことかはわかりませんが、「畿内説」寄りに立って意見を言うことが多いようです。

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42 武家の棟梁・源頼信(後編)

1.源頼信と盗賊

 さて、源頼信。

 『今昔物語集』に、こんな話があります。

 頼信の家来に、藤原親孝という者がいました。
 ある時、この親孝の家に盗賊が入りました。親孝は盗賊を捕らえて縛り付けましたが、盗賊は親孝の子供を人質にとって逃亡しようとしました。
 親孝は主人の源頼信に助けを求め、子供が殺されると泣いて訴えました。

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40 武家の棟梁・源頼信(前編)

1.なぜ「関東」は源氏を選んだのか?

 治承4(1180)年10月6日。

 この日、日本列島の歴史の流れを大きく変える出来事が、関東で起こりました。
 源頼朝が5万騎ともいわれる大軍を率いて、鎌倉の地に入ったのです。
 伊豆で挙兵した頼朝が石橋山の合戦で平家軍に大敗したのは、この日からわずか40日余り前のこと。
 命さえも風前の灯と思われた頼朝の怒涛のような巻き返しに、天下は震撼したに違いありません。

 源頼朝という一人の男に、関東の武士たちの「夢」が結集したのです。

 清和源氏の総帥。
 その地位がもたらすカリスマ性が、頼朝の力の源泉でした。

 それでは源氏は、なぜそれほどの影響力を関東の武士たちに及ぼすことができたのでしょうか?

 その理由の一端を、エントリ38『「八幡太郎」伝説 −源義家−』で書きました。しかし、源氏と関東のかかわりは、そう簡単には語りつくせません。
 今回とりあげようと思うのは、義家よりももう少しさかのぼる時代です。

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39 平安時代は乱世だった

1.平安時代は「平和」な時代だったのか?

『ところであなたは、平安時代というとどんなイメージを思い浮かべますか?
 おそらく、穏やかで平和的な時代を想像するのではないでしょうか。』
 

 これは、エントリの17の中で書いた文章です。

 17 ”正倉神火” と武士の誕生


 歴史小説やテレビの時代物がわりあい好きな人でも、「戦国時代」や「幕末」はイメージできても「平安時代」となると見当がつかないという人は多いのではないでしょうか?


 以下は、私がときどき参加している、『Unow? Yes/No』という一種のアンケート・サイトから。



 【追記 2009・03・08】 『Unow? Yes/No』は、2009・03・10で、サービス終了になるようです。




「どちらかなら生まれたかったのは戦国時代(Y)、平安時代(N)?」

 という質問に対し、回答総数144件、割合はYes(戦国時代)29%、No(平安時代)71%でした。

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