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あまくさ惣一郎

Author:あまくさ惣一郎


 平将門の生涯を追うと、平安時代中葉〜後半期の関東地方が、深刻なアナーキズムにつつまれていたことがわかります。東北の蝦夷との強いられた戦争。都の権門や国司たちによる過酷な搾取。
 関東の武士や民衆は、みずから汗を流して開拓した農地を守るため、立ち上がりました。それが、将門をリーダーとする大反乱です。
 将門は「新皇」と名乗り、「関東独立王国」を建設しようとしましたが、この歴史上初めての壮大な実験は、あえなくついえました。彼らの政権構想が、あまりに未熟だったからです。
 将門と坂東武者たちの見果てぬ夢。それが実現したのは、2世紀あまりのちのこと。源頼朝の登場まで待たなければなりませんでした。
 鎌倉幕府成立の本質は、武士による革命であり、働く者を社会の中心にすえる「世直し」とも言えるものでした。


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35 寒い国から来た「安倍一族」

(1)東北地方と「アベ一族」

 ある地域である苗字を名のる人がやたらに多い。そんなことがよくあります。

 わたしが生れた近所は「志村」という表札に囲まれていました。子供のころは不思議に思ったものです。
 今から思うと何のことはない話で、あのへんの地主さんだったわけですね。

 限られた地域ならそんなケースもめずらしくはないと思いますが、もっと広く何々県くらいに多い苗字というのがあると、興味をひかれます。

 以前、仙台に行ったとき、「佐藤さん」がたいへん多いことに驚きました。
 ちょっと道を歩いても、ほうぼうで目にする「佐藤」という表札、信号待ちしている車に「佐藤工務店」。訪問した先に3人くらい佐藤さんがいる。
 そんな調子でした。

 ところで、今回とりあげようと思うのは、佐藤さんではありません。

 あべ

 これも宮城県に多い姓の一つです。

 実は佐藤も阿部も、歴史的に由来のある姓。とくに、阿部(阿倍・安倍・安部)さんは面白いのです。

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27 古代・北関東王国の没落

 古墳時代中期、西暦5世紀の北関東地方。
 そこに、雄大な勢力を誇った「国」がありました。

 彼らは今の群馬県、榛名山の東南のふもとに本拠をおいて利根川の水運をおさえ、朝鮮半島から技術者を迎えいれて、先進的な地方社会を築いていました。

 その国の名は、「毛野」。

 『日本書紀』の安閑天皇元年の条に、つぎのような伝承が記されています。

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25 崇神天皇と三輪山の蛇神

 崇神天皇は、『日本書紀』に記された第10代の天皇です。

 記紀(『古事記』と『日本書紀』)に書かれた古い時代の天皇は、本当に居たのかどうか疑問を持たれている人物が多いのですが、この崇神天皇は実在した可能性があると見られています。

 ただし、天皇という称号が当時まだなかったことは、ほぼ確実。「崇神」というのも、漢風諡号と言って後世になってから贈られたものです。

 ですが、話が面倒くさくなるので、ここでは「崇神天皇」と呼んでおくことにします。

 この天皇の宮は、奈良県桜井市、三輪山の西のふもとにあったとされています。
 そこから北西に1駅ほどはなれたあたりに、古墳時代初頭に突然あらわれた巨大遺跡・纒向(まきむく)遺跡や有名な箸墓古墳があります。

 つまり考古学的にも初期大和政権発祥の地と見てほぼまちがいのない地域であり、そこに宮をかまえていたという伝承も、崇神天皇実在説にリアリティをあたえています。

 この天皇をめぐって、『日本書紀』に次のような話が書かれています。

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24 幻の女王国(その3)・新時代の胎動

(1)時代の転換期と「乱世」
 前回の話題では、「邪馬台国の時代」が歴史上のどのあたりに位置づけられるのかを確認してみました。
 
 先行する「倭国乱れ」と中国の史書に記された時期も含め、年代的には紀元2世紀末葉〜3世紀前半。考古学的時代区分では、弥生時代終末期〜古墳時代初頭ということになります。
 
 この「弥生時代終末期〜古墳時代初頭」というところに、まず注目してください。
 
 「邪馬台国の時代」が歴史の転換期だったことが、これだけでも何となく想像できるでしょう?
 
 ちなみに古墳時代の次は、奈良・平安時代。
 その次が中世(鎌倉・室町時代〜戦国時代)。
 その次が近世(江戸時代)。

 大雑把に言えばこのように時代区分されているのですが、それぞれの時代が終りに近づく頃、必ず「乱世」が発生しています。
 
 奈良・平安時代の終りには、保元・平治の乱で貴族政治が崩壊し、つづく源平の争乱を経て武家政治の時代が幕開けしました。
 
 中世の終りは言わずと知れた「戦国時代」。近世の終りは、「幕末の動乱」です。
 
 世の中が混乱し物騒な事件(時には戦乱)が頻発するようになった時、乱世の風景の中から新時代の胎動が始まるのです。
 
 では、少し戻って「古墳時代」の終りはどうでしょう?
 
 時代が古いせいもあり、歴史にそれほど興味のない人は、古墳時代の終末に何があったのかイメージしにくいのではないかと思います。
 
 考古学者は、古墳時代を前期・中期・後期の三つに分けて考えています。
 古墳時代後期は、おおむね6・7世紀をさします。
 
 この6・7世紀の日本に何が起こっていたでしょうか?
 
 まず6世紀には、北陸地方から迎えられた「謎の大王」継体天皇の即位があり、北部九州に大勢力をほこった筑紫の君・磐井が大乱を起こしています。
 
 そして7世紀。
 この時代は飛鳥・白鳳時代とも呼ばれますが、考古学的には古墳時代後期後半にあたります。
 
 この時代はまさに激動期です。

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23 幻の女王国(その2)

 考古学から見た「邪馬台国」について、書いてみたいと思います。

 一昔前までは、このテーマに関連して「三角縁神獣鏡」というシロモノがよくクローズアップされました。
 これは中国鏡の形式でつくられた青銅製の鏡なのですが、日本各地の前期古墳から出土する独特の考古遺物です。

 最近、「鹿男あをによし」というテレビ・ドラマを観ていたら(原作は未読)、この三角縁神獣鏡が重要なモチーフとして使われていて、ちょっとビックリしました。

 以前は、女王・卑弥呼が魏の王朝から下賜されたという銅鏡100枚、いわゆる「卑弥呼の鏡」がこれなのではないかとさかんに議論されました。それは、ご存知の方も多いと思います。

 でも、近頃は考古学者のあいだでは、三角縁神獣鏡は邪馬台国との関わりではあまり語られていません。
 初期大和政権を考える資料としての研究は進んでいるのですが、この鏡を邪馬台国と直接結び付けるには疑問点が多いのです。
 
 もちろん、考古学上の重要なテーマは、邪馬台国だけではありません。

 そして、邪馬台国をめぐる時代を専門としている研究者にしても、鏡などの個々の遺物だけにこだわって議論しているのではないことを、まずは強調しておきたいですね。

 研究者たちは現在、女王・卑弥呼が誕生したころの西日本がどのような情勢であったかを、多くの遺跡調査の成果から復元しようとしています。

 これから何回かにわけて、そのへんのことを書いてみようと思います。

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